来年度は飛躍の年!

上の子は高校の、下の子は中学校の
卒業式を無事終えました。

下の子は泣く訳ないよ~!
と、言っていたけれど号泣で
私は思っていた通り号泣でした。

上の子、まん中の子の時には
私はほぼ泣かなかったのに
なんで今回は号泣だったのか…。
考えるといくつか理由があります。

地域の中学が最後ということ。
PTAをずっとやってきたということ。
小学生から知っているということ。
幼稚園から知っている子もいること。
また地域情報が入らなくなること。
私の所属がなくなるということ。
…などなどです。

上の子たちは障害の関係で
幼稚園には入れてもらえず
最寄りじゃない保育園に通い
小学校は支援級が地域から
かなり離れた学校だったから
下の子とはまるで違う
地元生活を送りました。

保育園は小規模だったし
私はかなり暇だったけれど
まわりはかなり忙しい人ばかりで
ママ友もできず本当に孤独でした。

子育てについて話す機会は
先生やプロの人としかなくて
働きたかったけど働けず
所属も居場所もなく
かなりきつい日々でした。

下の子が幼稚園に入った時
その辺りのことが一変しました。

まわりの母がみんな
私と同じように暇でした(^o^)

子育てや学校の話も普通にできる。
子供が園に行っている間は
母たちでよく集まりました。

PTAっぽい作業も出てきて
自分の前職や趣味を活かせる場が
急にできました。

そんな時、その頃に出会った真面目な
やや年上な先輩ママ友が

「あなた、いい?
母親の状態、母親の行動は
子供にものすごく影響するのよ。
母親がちょっと変だと
『あそこの親は変だから
遊んじゃダメよ!』って
子供まで外されるの。
子供のためを考えるのよ。」

と、話してくれました。

私はその頃、金色に近い茶髪で
ピアスを沢山している状態でした。

別にその容姿だからその話を
私にしたって訳ではなさそうだけど
その話を聞いてから、茶髪は茶髪でも
普通の範囲の茶髪にして
ピアスも大振りなのはやめました。

服装もまぁ無難なものにして
意見もバンバン言うのはやめて
PTA活動も進んでやりました。
とにかくはみ出さないように…。

高校や短大、正社員時代
平凡と言われたことはないし
毎日通うのも、群れるのも
大嫌いだった私が
下の子が幼、小、中に通う間に
本当に変わりました。

ただ、そのことに対して
不安な気持ちが1、2年前から
ムクムク膨らんできました。

自分の個性を捨ててきた私は
すっかり自分がわからなくなって
いることに気づいたんです。

下の子が中学を卒業してしまうと
私の仕事も居場所もまた
幼稚園入園前に戻ってしまう…。
という恐怖もありました。
がんの闘病の時も
PTA活動をやめなかったくらい
何もなくなることが恐怖なんです。

急いで大学に入ったものの
お金の関係で通信だったし
学科もかなり限られていたし
孤独だし、思っていた内容と違うし
手付かずで放置してしまいました。

あ~どうしよう…。と思って
自分探しで講習会に出てみると
同じようなことを言っている人を
ひょんなところで結構見つけました。
定年退職をした方々でした。

家と違う意味の居場所。
そして所属。
なくなると孤独なんですよ、本当に。

私も身に染みて知っている…。

ということで、来年度はそっち方向で
動いてみることにしました♪

上の子たちが地域の学校に行けず
かなり面倒だし、嫌だったけど
市内のいろんな地区に詳しくなったし
PTAの最後にP連をやらさせてもらい
さらに幅が広がって
各地域の人と話すとっかかりができた。

うまくできてるものだな~
って、本当に思いました。

あとは昔のようにグイグイいける
自分が戻ってくればいいんだけど…。

そんな十数年だったので
息子と共に私も号泣しました。
幼稚園前の状態に戻ることは
もうないんだな!って
号泣する息子を見て思いました。

来年度は上の子、下の子、私は
完全に変化の年になることでしょう。
そして、まん中の子は早いもので
就職活動の年になります。
ダンナは…かなり仕事が忙しいらしい。

家族揃って飛躍の年度になりそう!
これからもよろしくお願いしますm(_ _)m


あ、ちなみに
幼稚園の時に助言してくれたママ友は
今でも仲良くママ友しています。
昨日はLINEでやりとり、来週会います。
今でもいろいろ助言してくれる
大切な友だちです♪
(知ってる人は語り口調でわかるでしょう)