42才になりました


父親から上の子が注意されて以来
家で口もきかず、食事もせず…で
日曜日から修学旅行なんだけど
どうするの?!と気を揉んでいたら
昨日から私とは普通に話し始めました。

とりあえず良かった。

そして今日、
朝から東京もぐらぐら揺れていますが
私は42才の誕生日を迎えました。

例年、誕生月は運が悪かったり
体調がとても悪かったりして
最悪なことが多いのですが
今年は多少調子が悪いものの
まぁそこそこの状態です。

5月末でがん発見から丸5年です。

発見時3cm、顔つき悪い進行がんで
脇のリンパにも転移ありの乳がん
抗がん剤は効くタイプだけど
脇の状態も良くなかったし
元の乳がんの中心部が壊死し始めてる
という所見があったことから
今考えれば、遠隔転移が予想されて
いたのかもしれません。
とにかく生存率の話を念入りに
主治医からされました。

私は性分上、自分のことを
人任せにはできなかったし
それ違うんじゃないの?!
と思いながら悪化していくのは
絶対に嫌だったので
基本から怪しいものまで調べて
自分のやりたいように
治療をすることに決めました。

ここまでやってダメならば
もう死ぬことに納得できたし
ズタズタになってまで
生きる気は毛頭ありませんでした。
治療や通院費用もかかりますし
家族に負担が大き過ぎますから。

私の中で術前抗がん剤は必須。
今となってはごく標準的ですが
当時は術前にはやらない病院も
まだまだありました。

術中の即時リンパ検査にも
対応していなければ嫌だし
抗がん剤は入院なしの
日帰り点滴を実施というのも
私の中で必須条件でした。

1番大きな山は
医者の考えを押しつけてこずに
こちらの思いや考えを考慮して
治療を決めてくれる医者探しでした。

私はリンパをできるだけ
切らないで済ませたかったので
闇雲に切りたがる医者や
生かすのみに重点を置く医者は
とにかく論外でした。

抗がん剤は3回目に急に効き始め
がんがあったところに窪みができて
機材など使わなくても
効力がはっきりわかりました。
(術後じゃ絶対にわからない…。)

抗がん剤を半年やったところで
がんが検出されなくなりました。

本来はそれでも残骸を取り除く手術や
放射線治療をするものなのですが
手術はしないことに決めました。

放射線治療は受けようと思いましたが
「君は手術をしていないから
1年以内に再発する可能性が高い。
放射線治療をやってしまうと
皮膚が薄くパリパリになるし
内部は癒着してしまうため
手術が難しくなってしまう。
手術してない分、今の状態ならば
手術はやりやすい状態だから
再発を初発だと思ってその時に
手術と放射線を受けなさい。」
という説明を熱心にされたので
受けることをやめました。

どうもどこの医者に行っても
かわいそうなお嬢ちゃん扱い(^_^;)
あとで後悔するのに…
かわいそうな子だねって感じでした。

ただ私は再発や転移をその後しなかった。
でももし再発や転移をしたとしても
私はこれで良かったんだと思います。

医学的にああやっておいたら
良かったんだな~とか
へぇ~とかは思うけれど
しまった!とかは思わない。
どうもその辺の感覚が変わってるので
医者には痩せ我慢している様に見えたり
頭が悪い子に見えるみたいです。

まかりなりにも子供が3人いるので
医者に検査の依頼をしたりします。
それをただの心配性と思われたり
生への執着と思われる様ですが
興味の問題で事実を知りたかったり
先々の予定や予測を立てたいだけなので
意識がだいぶ違う様です。

そもそも私はがんと聞いた時に
悲観にくれなかったし
初めてのことが経験できることで
ある意味ワクワク感がありました。

人生観は人によって違う訳ですね。


私の生存率はフルコースの治療
(手術、抗がん剤放射線)をして
5年後で6,7割程度でした。
私の場合は抗がん剤治療のみなので
その半分以下の生存率でしょう。
医学的な予想では
今頃死んでいた可能性が高かったはず…。


元気にこの朝を迎えられたことに乾杯!


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